はい、どうも、いずみです。
居酒屋に行けば、自分のテーブルも仕事のぐち、隣のテーブルも仕事の愚痴。
ネットで「仕事にいきたくない」と検索すればわんさか記事が出てきます。
なんだかんだ、会社に行きたくないって言う人って割と多いのかなと感じます。
会社に行きたくないなと思いながら通勤する人。
会社が憂鬱でため息ついてる人。
日曜日に明日も仕事だ…と涙まで出てくる人。
まぁ、そりゃやりたくないものはやりたくないですよね。
わたしも会社行きたくない系の人間だったので、お気持ちはよくわかります。
でも、みんなやりたくなくても、月曜日にはちゃんと出勤します。
なんとなく「やらなきゃ!」と感じるから、嫌だけど行くんですよね。
(日本人の気合、すごいね。)
今回は
みんなが仕事に行きたくなくなる理由と
憂鬱にならないための仕事に対する考え方をまとめました。
そもそもなぜ会社に行きたくないのか?
朝の通勤電車の空気は異常
明日行きたくないな。
仕事やだな。
そう思う人はたくさんいて、それは朝の通勤電車をみればすぐにわかります。
社会人になって朝の電車に乗って初めて知ったこの異様な空気……
誰一人楽しそうではありません。
もはや葬式モード。
ちーんとしているだけならまだいいんですけど、電車が混んでいることにイラついて、誰も悪くないのに人を押しのけたりするスーツ姿のサラリーマンさえよく見かけます。
みんな余裕がないんですね。
電車に乗ってる段階から行きたくないオーラ全開。
ディズニーランドに向かう京葉線に乗っている人とは明らかにテンションが違う…。
理想と現実とのギャップ
自分から就職試験を受けてなったはずの会社でなぜ働きたくないという気持ちが生まれるのでしょうか?
たぶん、その理由は思ってた働き方と違ったからです。
学校や会社に限らず、イヤだという気持ちは自分の願望と現実の違いから生まれます。
私が感じた理想と現実とのギャップ
私の場合、教員採用試験を受けて合格し教員になることができました。
憧れていた仕事だったし、もちろん大変な仕事であることは予想していました。
実際に働いてみると、残業の量は予想以上。笑
でも、生徒は楽しいし、保護者からのクレームもなんとか乗り越えられたし、たぶん私は教員に向いていました。
向いているけどやめたくなっ理由の1つは、教員の幼稚さが原因でした。
社会人で先生という立場にあるにも関わらず、
机上がめちゃくちゃ汚い先生。
平気で遅刻する先生。
若者に仕事を押し付ける先生。
もちろん素敵な先生もいましたけど、この人になりたいって思うような方がいなかった。
仕事を頑張っていても家庭のことは全部奥さん任せ。
バリバリ働いている女性の先生は子供がいない。
私が思うような人生を歩んでいそうな先輩がいなかったのは大きかったかもなと思います。
なんか違うと気がついたその日から、もう違和感しかなかったです。
それからは、行きたくないという気持ちが膨らむばかりでした。
今思えば、「そこにいても、なりたい自分にはなれないな」って気づいてしまったのですから当然ですよね。
関連記事 28才家族持ちの私が6年勤めた中学校教員を辞める理由。
やりたくない気持ちの裏に本当の気持ちが隠れている!
あなたの会社に行きたくないという気持ちの裏にも
- 仕事がそもそも楽しくない。
- 自分を評価してもらえない。
- 他にやりたいことがある。
- 寝たい。
- 尊敬できる人がいない。など…
色々な気持ちが潜んでいます。
つまり
- 本当は楽しく仕事をしたい。
- 正しく自分を評価してもらいたい。
- 他にやってみたいことがある。
- もっと自由な時間が欲しい。
- 自分が尊敬できる人と一緒に仕事をしたい。
というような理想像を思い描いているのです。
あなたがもし、
仕事に行きたくないと感じはじめたなら、自分の理想像がハッキリと認識されはじめた。
ということなのかなと私は思います。
理想像を手に入れやすくなった現代
インターネットが普及してなんでも調べられる時代になりました。
会社でちょっと辛いことがあれば
- 「もっと給料や待遇のいい会社」
- 「人間関係のいい会社」
- 「自分が活躍できそうな会社」
- 「そして働かない生き方」
などなど、自分以外の経験談をグーグル先生が教えてくれます。
自分一人ではたどり着くことのできなかった考えを見つけることができるのです。
そして、その新しく知った情報を元に新しい自分の理想像が作り上げられます。
「こんな幸せな生き方があるんだ」
「ぜひ私もそうなりたい!羨ましい」
そう思うようになれば、理想と違う現実にうんざりして仕事が辞めたくなってしまのも当然の流れかもですよね。
転職する人が多いのはインターネットのおかげ。
一昔前は上司や賃金に不満があっても、今ほど転職自体簡単ではありませんでした。
転職できないとなれば、
「きっとみんなこんなもんだ。」
「他はもっと悪いのかもしれない。」
そう思い込んでみんな鬱にもならず、当たり前のように働いていました。
それは自分以外の会社が、どのような状態なのか知ることができなかったからこそできたことです。
自分よりよい環境で仕事をしている人がいることや、そもそも働かないでお金を得ている人がいること知っていたら「きっとみんなこんなもんだ。」なんて思い込めません。
昔は親から語り継がれた「大手に就職する」くらいしかいい働き方を知らなかったですしね。
インターネットの普及により転職が簡単にできる、今まさに「転職の時代」なんだろな~なんて思います。
私が理想の自分に気づいた瞬間。
初めは自分の願望と現実が違うことに気がつかない。
前々から
ここで一生働くのはいやだな。
とは思っていましたが、そもそもなんでそんな気持ちになるのか理解できていませんでした。
「ゆとり世代だからなんか、自分には忍耐力ないのかな?」
みたいなその程度の考えしか出てこなかったです。笑
忙しさのあまり、私は理想の自分と現実の自分が違っているということに気がつきませんでした。
なりたくてなった教員だし、せっかく合格したわけですからやめたいと思いつつも、それでいいのかわかりませんでした。
自分の気持ちに確信が持てなかったので、当然行動することもできませんでした。
ただいつも漠然とモヤモヤした感情はあって、
このままこの職業についていたら労働時間が長くて、家族と一緒にすごせる時間が少なくなるから「どの道転職は必要だな。」と思っていました。
なりたい自分はどんな自分?
そんな私が26歳のときのことです。
妊娠をきっかけに1年ほど職場を離れることになりました。
公務員は待遇がいいので、産休に入ってからも月20万くらいもらうことができました。
働いていないのにお金をもらうなんて、人生初めての出来事です。
そこで私は気がついたんです。
いままで必死にお金を稼いできたけど、働かないでお金をもらえるなんて、こんなに素晴らしいことはない!
「こんなに必死に働かない稼ぎかたはないだろうか?」
「そうだ、私は日本一の公務員になりたいわけじゃない。」
「私にとって今の仕事は最優先ではない。」
「家族と一緒にいる時間を増やしたい。」と。
憂鬱にならないためにできること。
いろんな感情を引きずりながら仕事してもいいことない。
そんな新しい考えになりつつも私は8ヶ月で我が子を保育園に預け、再び働き始めます。
でも、「本当は自分が育てたいのに。」
「働かないで、ずっと子供といたい」
そんな気持ちがいつもどこかにありました。
職場で仕事をしていても、
「あぁ、なんで他人のことにこんなに必死になっているのに、自分の息子のために何もしていないんだろう?」
そう思いながらも気がつくと、
帰る時間を忘れて仕事をして、母親になりきれない自分に罪悪感さえ芽生えていました。
憂鬱なまま働くと仕事は遅いし、楽しくないんですよね。
イヤイヤやるのだけはやめておく。
イヤイヤ働くなんて私は無駄だと思います。
今の私から昔の私にカツを入れるならこう言います
「イヤイヤやるならさっさと辞めろ。」
いやいや働くなんて職場に迷惑です。
あなた一人辞めたところで会社はなんとかなるし、意外とそんなに必要とされていないです。
やる気のないあなた一人がいなくなったところで、誰も困らない。
これが事実です。
会社があなたを必要としているのではなく、あなたが会社を必要としているのです。
だから、イヤイヤやる必要なんて全くないのです。
イヤイヤやってもいいことないよ
昔、教員だったころ私は生徒に宿題を配る前にこんなことを言っていました。
「写したりするのは時間の無駄。
イヤイヤやっても自分のためにならない。
やりたい人だけで構わない。
その人生を歩むのは自分なんだから、なにをやるかやらないかは自分で決めなさい。」
と言ってほしい人にだけ宿題を配ります。(するとみんな宿題を持っていきます。)
仕事をイヤイヤやるのも意味がないと私は思います。
イヤイヤやっても誰のためにもならないし、時間の無駄。
イヤイヤやるなんて、やらない人以下。
少なくとも、いやいや仕事していた時の私はそうだったと思います。
「人の役に立つ」ってイヤイヤやりながらできることではありません。
いやいや取り組むくらいだったらさっさと辞めたらいい。私はそう思います。
イヤイヤやっても割と何も得られない
さっきの宿題の話のように、結局イヤイヤやっても効果がありません。
これは宿題や仕事に限らずなんでもそうです。
イヤイヤやったってその場でその作業は終わっても、今後の自分のためにはなりません。
イヤイヤやってもその時間は何も生み出さないのです。
もしかしたらいやいややって意味があることもあるのかもですが、私の経験上、イヤイヤ何かをしても時間を失うだけです。
恥ずかしながら6年間も、イヤイヤ仕事をした私だからこそ自信を持って言えることです。
6年頑張ってもイヤイヤ仕事しただけでは、結局手に職はつきません。
イヤイヤやったところで、イヤイヤレベルにしかできるようにならないんですよ。
そういう年月が長ければ長いいほど、その業界ですら通用しなくなってきます。
え?その年でそんなこともできないの?って若い人にどんどん抜かされて行きます。
どうせやるなら腹くくってやった方が何倍も自分のためになる
本当に嫌だと、行きたくなくて涙が出てきます。
少なくとも私は、産休前に職場復帰するのが嫌で、布団の中で泣きました。
自分が嫌な気持ちになるということは、自分の理想と違うと心がはっきり分かっているのです。
もちろん、無視して働くこともできます。
でも、自分の心に逆らい続けて焼きたくないのに…と後ろ向きな気持ちで働いていると、どんどん心がなくなっていきます。
少なくとも私はずっと無心で働いていました。笑
やりたくないことに100%の情熱は注げないのです。
でも、家族を養うために仕事を辞めるわけにはいかないという人もいると思います。
私もそうでした。
会社のためじゃなくて身近な誰かのために働こう
そんな時救ってくれたのが私の主人がかけてくれた言葉でした。
「働くの語源はね。
傍=はた(側にいる人)を楽=らくにしてあげることからきてるんだって。
家族でも職場の人でもお客さんでもいい。
自分に関わる人を楽にしてあげたらそれは【働いた。】ってことなんだよ」
何が言いたいかというと、あなたがいることで助かってっている人が必ずいます。
1日の半分くらいは仕事に時間を使います。
どうせならその時間誰かの役にすこしでもたてたらそれでいいのです。
どうせなら誰かの役にたつ働き方をする
私が思うに、人は全員に好かれることはできません。
だから、自分の大切な誰か一人のために頑張ればいいんじゃないかなって思うんです。
上司に正しく評価されないとか
お客さんがわかってくれないとか
いろんな不満があるとは思います。
でも、あなたがいることで家族や、会社の誰かは、お客さんの誰かはあなたに感謝しているのです。
あなたがどんな仕事についているとしても、あなたは役に立っているのです。
だから、働かなければならない期間は精一杯働いていきましょう。
どうせやらなければならないなら、誰かの役に立てた方が面白いじゃないですか。
やりたくないことをやるのは大変です。
でも、どうせ大変ならせめて何か一つでもプラスになるようにやらなきゃもったいないです。
まとめ
人生は選択の連続です。
会社に行くのも行かないのも、実はあなたの自由だったりします。
会社なんてやめたきゃ辞めても大丈夫です。
実はあなた一人いなくても会社は回るし、その会社で働かなくてもあなたは生きていけます。
自分で選べるんだから、好きなほうを選べばいいのです。
でも選んだ方には必ず全力でやることです。
それが大人の責任というか使命なのかなって勝手に思っています。